医局長就任にあたって:佐藤輝幸

4月1日より正式に医局長に就任した。佐藤です。前任地は筑後市立病院で大学に戻るのは6年ぶりになります。自分が医師になって18年になりますのでちょうど1/3の期間になります。この6年の間だけでも麻酔器が変わり、自動麻酔記録装置が加わり、各部屋の様子を見るカメラが導入されるなど大きく変化しました。電子カルテシステムも導入されました。6年前の状況を思うと「浦島太郎」の状態で私も一からやらないといけないかもしれません。18年前の自分が入局した時の医局長は浜田先生であり、各曜日のSupervisorは増田先生、加納先生、渡邉先生、杉山先生、浜田先生がされていたと思います。その当時はローテーターが10人近くいて、わいわい言うことも多かったですが、4月からのローテーターは1名と激減しています。当時のような雰囲気はありません。それに対して、女性麻酔科医はその当時、佐野先生と大石羊子先生ぐらいしかいなかったと思います。現在では医局員の半分以上は女性です。自分を含め年齢が高い男性医師が医局から離れる時期がいずれ来た時にどうなるか気になります。増田先生がよく言われていたのは「いつまでもいると思うな親とカネ」「いつまでもいると思うなSupervisor」。早く自立できるように努力しろということのたとえですが、現在の状況を言いえているように思います。また、3大学野球の懇親会で当時鹿児島大学におられ、現在は宮崎大学教授の恒吉先生からは麻酔科医は麻酔のことができて当たり前、しかしそれだけではいけない。ほかになんらかのスペシャリテイーが必要といわれたことを思います。自分も大学から離れているときにいつも思うのは手術室以外での相談もそれ相応にあることです。手術室の業務をしながら、術後痛についての相談やがん性疼痛に対する麻薬の調節のお願い等指示をすることも多かったです。何事もバランスを取りながら進めるのが必要ですが、病院の経営からは手術室を適切に運営することが最大の貢献になる現状があり、ペインや緩和、集中治療には手が回らない現状と思いますが、一生、大学で勤務する人は数パーセントと思われます。いつかは大学を離れる。離れたときにどういう形でかかわることができるか考えておきたいところです。